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  • 執筆者の写真おだぽひ

オラム『ODA MADEとグッバイ劇団』

更新日:2022年12月31日

どうも


『修学旅行で何も知らず109に行き、エスカレーターを上り降りしただけ』


織田です。


渋谷なら109やで!


と友達と意気込んでいったら、ギャルとギャル服しかなく、全くフロアを回ることなく下まで行き


東京はおっかねー!


ってなった思い出あります。



今更ですが、ODA MADE『バースディ』無事に終わりました。来ていただいた皆さんには感謝です。


35歳でしかもコロナ禍なのに何を思ったのか旗揚げしてしまいました。まぁ旗揚げというよりは


オッス、オラ織田。一回くらい自分が書いた作品を上演してみっか。


と自分の中の悟空が顔を出したので、やってみた次第です。


4月末に小屋を抑えて、11月末の公演ですから実質半年ないくらいの準備期間でした。

劇団経験があるので、何となくの流れを一人で作りながら、台本書き。


色んな事で躓いたりしましたが


まだ慌てる時間じゃない


と自分の中の仙道が私を落ち着かせてくれました。一番難航したのは名前でした。


狙いすぎてもダメだし、かといってよく分からないのもダメ。色んな人に相談したりしました。

一番候補が多かったのは



ODA MAP


でした。マジ無責任。


Nを取ったらODA。家庭教師のトライ

じゃねぇんだから。マジ勘弁。


そんな中で、『O』がつく言葉を調べていたら、『order made』って言葉が目につき、


ODA MADE


になりました。


イベントみたいなもので書いたり、個人的に趣味の範囲で書いていたりしていましたがこうやって自分の公演として作・演出するのは初めてでした。



そして照明・音響オペをするのも初めて。


なんでこうなったったいうと単純に



予算



です(笑)



人それぞれ予算の立て方があると思うんですが、私は


絶対に赤字予算は立てない。公演規模内の予算でやれることを工夫する。


をモットーにしました。


なので、1億万回電卓をたたいても雇うお金はなく、ならば私がやるしかないと思いあんな形になりました。


少ないお金でプランを立ててくださった照明の赤田さんと音響の竹下さんには一生頭があがりません。

そんな苦肉の策でしたがやっていて楽しかったし、それが


ODA MADE


という名前を結果体現することになり、私からすると後からなんかええ感じに意味がついた結果になりました。

おかげで、次回からもこれをやらなければいけない雰囲気になりどうしよかと思っています。


そんなこんなでやった公演でしたが、本当にありがたいことに好評な意見をたくさんいただいたびっくりしています。


実をいうと、こんなに好印象で終わると思っていませんでした。まぁいい思い出が出来たなくらいだと思っていました。


何よりうれしかったのが、今年の野田地図で僕のことを知ってくれた人たちが観に来て下さり「楽しかったです」のコメントを沢山いただいたことです。


卑屈でもなんでもなく私は名の知れた人間でもないのでどうしたって関係者が多くなる。そんな中でのこういう人たちの観劇は嬉しいしやってよかったなと思う。


次に関係者の受けもよかったのが嬉しかった。某ウエストランドさんがM-1で言ってたけど、私は先ずは関係者に興味持ってもらわなきゃいけないとも思ってます。


だって演劇好きでやってる人たちにも面白いって思ってもらいたいじゃんね。


で、


次も期待してるよ


とか


出たい


とか言ってくれる人がいて、



よし!


となりました。

当然はまらない人もいたと思います。まぁ、あんな作品だし好みじゃなけりゃ結構退屈な作品だろうし。

一喜一憂しつつもトータル好評でよかった。

集客にはやっぱり苦労したし、興行としては微妙にダメだったけど公演としては大成功したかと思っています。

ご来場いただいた方本当にありがとうございます。


作品としてはなるべくよく分かんない作品を作りたくてあんな感じになりました。

基本的にはやりたい事やれたし、出てくれた若松力さん、山崎丸光さん、岸本武享さん、渡辺啓太さん、ヨシケン改さんは本当に素晴らしい芝居をしてくれた。


唯一、心残りは上演時間や作品のことを考え、短編を一つごっそりカットしたことだ。


『待ち焦がれる明日』という短編があり、それは『バースディ』という作品では特殊な短編だった。須賀の寂しさだけを書いたんだけど、実はあの後、ビルの屋上にいくという短編があった。


それはこの芝居を分かりやすくする云わば「私がちょっと思ってる事」的な事を書いた短編だったですが、須賀は謎めいた方がいいかなと思い、須賀役の力さんに相談したら


「それは思いつかなかったな。いいんじゃない?それくらいぼかしても」


と思いカットしました。


これが良かったとも思うし、やりたかったなと思う。また機会があれば形をかえてやろうかな。


あ、


ODA MADE#2



何とか来年にやれたらと今考え中です。いつまでこんなことやれるか分からないし、いい感じの時にやれるだけやっときたいなと思っています。


次回作は、


歩き続ける


をテーマにしたものができればと思っています。頑張ります。まぁ、あんまり期待せずに震えて待っててください。


さて、あともう一つ。




劇団とグッバイしました。


突然と言いながら、ここ最近は公演に参加もしておらずまぁ何となくそうなるんじゃないかとかお察しの方もいたかもしんないですが。


2015年に東京の上京して、東京の演劇事情がよく分からない中、とある縁で初めて客演した劇団が江古田のガールズでした。

そして2017年の『パル子の激情』に出演した際に居酒屋(多分鳥貴族)でバカデカい金麦を飲んで軽く酔っぱらった佐野君に「劇団に入らない?」と誘われたのがきっかけでした。

同じ歳くらいの劇団で自分が今まで関わってきた演劇とは違う作風で、何よりそこにいる俳優さんたちが素敵で


「この人たちとモノが創れるなら楽しそうだな」


と思い、


「いいよ」


と言った気がします。そんなこんなで約6年くらいいたようです。


楽しく活動していましたが、ここ数年は自分のやりたい事とのスケジュールがなかなか嚙み合わず、劇団活動にあまり参加しない事が多くなりました。


それと同時に劇団員も抜けていき、自分の中で当初の動機であったこの人たちとモノが創りたかったんだけどなぁという思いが強くなっていきました。


それでも何とか劇団にいながら自分の好きなことをやっていく道を模索してましたが、まぁ上手くいきませんでした(笑)びっくりするくらいダメでした。


仕方ない。けど、んーって感じもありますが。


入る時もあっさりでしたが辞める時も白湯ぐらいあっさりでした。ギャフン。


楽しい思い出もありますが、ぶっ飛ばしたくなるような思い出もありますが総じて入って良かったと思ってます。辞めていった劇団員含め、大好きな俳優ばかりでいつかまた一緒に個人的にやれたらなと思ってます。


色々書こうかなと思ったんですが、なんかそれを書くのも野暮な気がしてきたのでこれぐらいに留めます。


まぁちょっと言うなら、


最早向いてる方向が真逆だな



って感じですね。逆っつうか最早同じ場所にはいないっつうか。

このままいても多分一生劇団の公演には出ないかもなってね。


ここら辺にしときます。




後は直接聞きに来て(笑)


今まで江古田のガールズの劇団員として応援してくださってた皆さん、ありがとうございます。

良ければこれからも引き続き宜しくお願いします。


しいたけ占いだと2023年は爆発の年になるようです。今年やったことが来年凄い成果をもたらすらしい。


まだお知らせできない事も含め来年も何かと精力的に演劇できそうです。


引き続き気にかけていただけたら幸いです。



ではよいお年を。

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