どうも。
『肩に小さな兄者のっけてんのかぃ!』
それは肩筋やなくて完璧に戸愚呂兄乗せてるやん織田です。
つい先月、33歳になりました。ハッピバースディ、先月の私。
そしてこの5月で東京に来て、5年が経ちました。あらびっくり。早いもんです。5年前の自分はこんな状況になってるとは思ってもみなかったことでしょうね、色んな意味で。
まぁ、大変な世界です。これまで生きてきて、世界や日本で様々な紛争や事件、災害があっても、沈む気持ちや悲しい気持ちになりはすれど、どこか対岸の火事のような気持ちが正直あった。
何か出来るわけではないから、ならば自分はあの人が欲しかった一日を一秒を楽しく生きていこうという考えでした。
それが今は対岸ではなく、ほぼ皆、波打ち際にいる状態。あらゆるジャンルの仕事、生活、命が抗えない恐怖の波にのまれそうになっている。
SNSでは情報と不安不満と罵詈雑言が飛び交っている。
ただ、そんな中でも、支えあったり励ましあったりするのを見て、勇気づけられたりもしてる。
スタッフとしての仕事も3つ無くなった。内一つは稽古も終えて、残すは本番のみだった。
延期からの中止だったので何とも言えない気持ちになった。
この2か月くらいで、この何とも言えない気持ちを味わった人たちは何人いるのだろうか?計り知れない。
ぶつけようのない気持ちだ。
直接ぶん殴りたい相手は、小さく巨大で分かっているのに見えない相手だから怯えることしかできず、代わりを探して、皆殴りあっている。
私は、そうならないためにウクレレを買いました。誕生日プレゼントです。空いてる時間はウクレレを練習したり、本読んだり、文章書いたり、ラジバンダリしてます。
こんなおかげはクソくらえなんだけど、立ち止まって見えるものや選択するもの、思考や関係の『洗濯』が出来たりしている。
そして、昨日トイ・ストーリー3を見て泣いた。
頑張ろうとか皆で乗り越えようってポジティブすら火種になる現状だけど、私はポジティブにいこうと思っている。
確かに、ニュースを見る限り日本の政治は狂っている。そして、それを伝える報道も狂ってる。何が正しいか判断がつかない。ただ、詳しく勉強してない私でも不思議に思う事ばかりだ。
それに対して声を上げることは、私は自由なことだと思っている。批判も肯定もあっていい。でも否定や悪態は違うと思う。
ある間違いに対して、違うだろの声はいい。
けど、
違うだろこのチョモランマ野郎!
は違うと思う。
チョモランマ野郎はある問題には関係ないはずだ。
でもそこから
チョモランマに失礼です、謝ってください
ってなる。
そしたらもうある問題は消えていき、あるのはチョモランマだ。
そもそもチョモランマ野郎ってなんだ!!
とまぁこんな風に話題が逸れて、残るのは悪態と否定だけになる。これは凄く怖い事だ。
尊敬する人や大好きな人からそんな発言がSNSで見えたりすると、少しショボンとなる。
これは個人的な考えだから、断定もしなければこうでなければならないと声を上げるわけでもないけど、まずは聞く気持ちと受け入れる優しさは必要だと思っている。
二つの道があって、明らかに左が正解なのに、リーダーが右だと先導する。そこで、いきなり
左だろ!
と否定するのは凄く寂しい。何故右なのかを聞いた上で、左の案を提示するべきだ。右のリーダーもそれに対して、よく聞き考えるべきだ。そこで、最初にいっていた右から左へ方向転換するのは何にも恥じることはないはずだ。
だが、今はその考えに意固地になったり、例え正しい方向転換に対しても
遅い!なんで右って言ったんですか?!だからチョモランマ野郎なんだ!そもそもあなたは・・・!
と左に促した人間が足を止めさせる。
進みたいはずなのにけんかばかりになり、結局前には進んでいかない。
私には今の日本はこう思えてしまう。
現実問題として苦しい事は山積みだ。ポジティブも聞く耳や受け入れる気持ちは余裕がある時にしか出来ないかもしれない。
頑張ろうの言葉にどう頑張っても無理な人だっているだろう。
余裕がある人からの頑張ろうがどれだけ苦しいかも分かる。今の世の中は元気よりも現金、芸術なんかより現物、応援じゃなくて支援が必要だろう。
でも、私は最終的には、元気に支えられ、芸術に明るさをもらって、応援で一歩進めると信じたいし、私個人はそうやって辛い時は乗り越えた。
だからせめて自分は、そうでありたいと思う。今だからこそ。
否定が一番堪える(笑)
当然、国のリーダーがチョモランマ野郎なのは困る。出来ることなら、バシッと決めてもらいたい。チョモランマ野郎なのにヒマラヤに向かわれても困る。チョモランマを目指すしかないのに。
お肉券ってなんだ?ややこしいぜ給付金!
って思う。
けど、声を上げるのと否定は似て非なるものだ。何が怖いって否定した側は正義だと思っていることだ。
この正義は悪意に化ける。正義であることを理由に人を傷つけてもいいとすら勘違いさせてしまう。
正義は心の麻薬だ。
今日本は、コロナより正義の麻薬が蔓延している。
お互いの正義と正義がぶつかって、最初の問題はどこかにいき、気が付いたら意味もないところを殴り合ってる。でも頭はトリップ状態だから、正しいと信じ込んでる。
そして、通りすがりの止めようとしてくれた人すらも殴り飛ばしてしまっている。
なんでやねんと言いたい。
間違いはそんなに駄目なことなんだろうか。それより人を傷つけることの方がよっぽど駄目だと思う。
失言より罵詈雑言、悪態の方がよっぽど失ってるものは大きいと思う。
私に誰かを救うことは出来ないし、誰かの支援も出来ない。自分で精一杯だ。でも、せめて、近しい人には優しくありたいし、小さな善意や頑張りには感謝を伝えたいと思う。
このコロナは人の命や生活を奪っているが、確実に優しさも奪っている。
健常な人間すらも狂わすなんて本当に怖いウイルスだ。
一日も早く穏やかな日々が送れることを本当に願う。
しかしまぁ、生きてりゃ色んな事が起きるもんだと実感する。
そして、生きてりゃ、考えも生き方も変わる。20代のとがりや上京した時の思いも、生きてれば変わる。状況が変わってるんだからそりゃ変わっていく。
ぶれない信念も大事だけど、変わる事はぶれたことにはならない。変わったことは諦めたことじゃない。
人によって大切にしてるものは違うはずだ。人が人を決めつけるなんてあってはならない。
演劇も音楽もそうだ。
やってる人間、観たり聞いたりする人間。皆、捉え方は違う。今、それを凄く思う。
高尚とか、なにかより劣ってると、無くて困らないとか、豊かにするとか、そんなものはどうだっていい。思う人は思っていい。
だからとりあえず、ギャーギャー言うなら、トイ・ストーリー3を見てくれ。
あれに、全てが詰まってる。変わることの素敵さ。受け入れる優しさ。手を繋いだことで生まれる勇気と決意。
全部詰まってるから。
いいか。
お前の考えは自由だが、考えを否定する権利はない。否定したいなら、聞いて同じ土俵の上に立て。自分を肯定したいなら、相手も肯定しろ。
それだけだ。
解散!!
では、また。