言うは易し、西川はきよし!
織田です
ほんと、毎月、いや毎週更新して、計画では誰かの目に止まって、コラムニストになってる予定でしたが、行うは難しを実感しております。
気がついたら誕生日も迎えてたしね。
毎回言い訳から入ってる気がするこのコラム。
でもね、奥さん。3月から4月は休みが二ヶ月で4日しかなかったの。それでコラム書けますか?セコム入ってますか?
ってね。というのも2月後半から3月4月5月中頃はスタッフ期間でして。初めてがっつり演出部というポジションでの仕事もしていました。今までお世話になったスタッフさんに紹介やら呼んでもらって、本番だけだけど舞監やったり、商業の大きな舞台のスタッフをやっていた。
3月の演出部は、当初つく予定だった現場の台本が遅く、期間限定で違う現場に回された(舞台監督が二現場掛け持ちしていて違う方に回された)。とりあえず稽古場のみの現場であったが、初めてにしては中々ハードルの高い現場だった。
仲良くしてもらった演出部の人に
商業の演出部の現場ってこんなにハードなんですね
と言ったら
いや、僕も10何年やってるけど、3本の指に入るくらい過酷だよ
って言われて、抜いた親知らずが生えそうになった。
ザリガニ釣りしかやったことないやつがいきなり蟹工船乗せられた気分だ。
毎日10時か11時から22時まで。
稽古に付き合いつつ、大道具を叩く毎日。
演出部ってこんなに大道具作るんすね
って言ったら
いや、僕も10何年やってるけどこんなに作るの初めてだよ
って言われて、抜いてない親知らずが抜けそうになった。
と言うのも、演出家さんが、稽古段階から、本番に近い道具を見たいタイプの人かつ、コロコロ変わるから、作り変えが毎日のようにあったのだ。
転換するセットも割と大きいものばかりなので、作り替えするのも一苦労。
8尺を10尺に変えたかと思うと、次の日に9尺に変更。かと思えば8尺に戻す。
やっぱり家が一番落ち着くかな!
みたいな旅行帰りの親父が絶対いうやつ
みたいな感じ(どんな感じだ)
皆で、これ作り変えるの何回目!!
って言いながらやってました。
そんなこんなで、やっていたら、歳も重ねた。感慨もクソもかつてないくらい無かった(笑)
本来の現場に戻ってからも、割りかしハードだったが、最初がハードすぎて、精神と時の部屋の後の悟空くらいの気持ちは少しあった。
ヤムチャになら勝てるかもしれない。
そんなこんなで演出部の仕事は終え、
次は東京マハロさんの演出助手。
去年、本番で裏についた事があり、そこからの縁でやることになった。
芝居の演出助手は本当に久しぶりであった。しかも演出助手が途中からの参加というよく分からない参加。
しかも以前裏についていたからとは言え、あまり話す機会もなかったからかなり緊張した。
が、蓋をあければ、楽しく参加できた。役者としても勉強になったし、劇団というものを改めて考える時間にもなった。
そして、少し演出というものにも興味が湧いたりもした。
おべっかでもなんでもないがこれは演出をされていた矢島さんの力だと思う。
そんなに多くの演出家に出会っていないが、自分の感覚的に素晴らしい演出家だなと思うのは、
圧倒的な魅せ方をする人か
役者をノせるのが上手い人
だと思っている。野田さんや天野天街さんは前者だ。脚本から演出まで、自分にはない領域の発想をして、役者を惹きつける。
矢島さんは後者に長けている人に感じた。リロ・バウワーもそんな気がしている。役者を上手くコントロールし、魅力を引き出して、面白くなるのを目の当たりした。これは役者をやっていると私はまだ感じる余裕がない気がする。だから、演出助手でそれが客観的に感じられ、役者をノせて面白く作品を創り上げていくことに興味がでた。
どちらがいいというわけではないし、両方基本みんな持っているが長けていると個人的に烏滸がましくも思っているだけである。そして共通して言えるのは、両方とも演劇が好きだという事だ。
そんなこんなで、周りの人たちにも恵まれ、楽しく出来た。
そして、トドメにコンドルズさんの埼玉公演の演出部についた。
大道具を作るところから参加したが、ここでは改めて、自分の実力のなさを痛感した。
一つ作るにもやはり遅いし、判断への信頼感がない。そこの苦労が数日間で実感できた。
以前より任せてもらえる事が増えた分、次へのステップであろう。が、ここが厳しいステップなんだろうなととも思っている。これは経験値による自信のような気がしている。自分にはまだ、その引き出しと説得力がない。
といった感じで、怒涛のような永遠に続いたようなスタッフ期間が終わった。
今までも、ちょいちょい仕込み手伝ったり、演出助手や舞台監督助手をしていたが、本格的にスタッフの仕事をしまくっているのは今回が初めてだ。
正直スタッフと役者の二足の草鞋はあまり良くないことは分かってはいる。
表と裏の仕事だ。完全に片足を突っ込んだ状態は初めてだ。ある演出部の方と話したら、そこに対してあまりいい気はしてないとも言われた。
中途半端だし、裏に徹しきれないと思うと。貴方のやってるのは役者目線の仕事で、演出部の仕事ではないと。私の演出部としての未熟な部分もあるだろうが、それプラスに、考え方が表の考えがありすぎるとのことだった。
表からもそうだろう。
あの人スタッフしてるんだ。役者はあんまりみたいなのか?ふーん
と思われたら終いだ。それに、両立が厳しい面は他にも発覚した。
役者はフットワークが軽くなくてはいけない。
受けたいオーディションやワークショップが締め切り一週間前に発覚することなんてザラだ。
そこにいけるかどうかが大事だ。その為に待つ日が続く時もある。
がそこにスタッフの仕事が入ると、丸々二ヶ月拘束されたりする。休みやNGは基本取れない。当たり前だ。他の現場が入っての休みならまだしも。仕事としてやっているのに、役者のオーディションがあるので休ませてくださいは、いい気はしないし、道理も通らない。それこそ、舐めている行為だ。
3月はなぜか受けたいオーディションやワークショップがよりによって山ほどあった。が全く受けることはできなかった。
役者としてのチャンス、レベルアップは逃していた。
これは薄々分かっていたが、改めて実感した。
そこに、後悔が全くないと言えば嘘になる。
嘘をついて休もうかなとも少し思ったくらいだ(笑)
じゃあ、何故二足の草鞋を履こうとしているのか。
理由はいくつかある。ここでは言えない現実的なことも含めてだ。
ただ、大きな理由は興味と責任の二つだ。
元より、京都時代から劇団では舞台班や小道具で動いてた。上手い下手はさておき、嫌いではなく、むしろ何かを作ったりするのは好きだ。興味は元々あった。が、京都時代にお世話になった舞監さんもだし、こっちで知り合って、良くしてもらってる舞監さんも、総じて、ただの舞台監督の枠を超えて、作品の一旦を担い、良いものしようと尽力している。そこに強い魅力を最近感じてはいた。
そこにこの前の野田地図だ。
1回目は
大きい舞台はこんなスタッフさんがいて、しかもこんな訳わからない自分にも全力で手を貸してくれるんだなぁ
と感動しかなかったが、
2回目は違った。あれだけのスケールを実現し、稽古場から支え続け、本番はさらに力を増し、そして、懐の深さで、役者たちを守り続けた。
尊敬と憧れが生まれた。凄い人たちだと改めて実感した。野田さんの無理難題(笑)をありとあらゆる方法で臨み、体現させていた。ハードワークであるには違いないが、それでも私を弄ったりする懐の深さもあった。
その凄まじさに憧れを感じたのだ。今までにないスタッフさんの演劇愛を感じた。
その働きを感じての江古田の1月の舞台監督があった。
事前に色々準備したものの、個人的には散々であった。本番は無事に大盛況で終わったが、舞台監督としての責任は果たせなかったような気がしていた。これにはかなり悔しさを覚えた。
そこにタイミングよく、スタッフのオファーがあれよあれよと入ってきた。これはこういうタイミングなのかもしれないと思い飛びついたわけだ。
私はタイミングに重きを置いてるのは言わずもがなである。
結果は、自分の実力のなさを改めて痛感する部分が大いにあったが、勉強になった。引き出しや経験値は確実にあがったと思う。それに、出来ないなりにも出来る事があることも分かった。
ひたむきに頑張る姿勢だ(笑)
演出部、スタッフを生業にしている人は個人のやり方考えを持っている人が多い。
例えばトップの舞台監督の指示にしたがって動いてると、同じ演出部の人が来て
これをやってくれ
と突然言われる。
これを今やれと言われたんですが
というと、
それはいいからこれをして
と言われたから、それをやっていると
あれ、これやってって言ったよね?
と軽く怒られる。
で、作業を元に戻すと、再び
だからこれ先やってよ!
と結構な感じで怒られる
みたいな事がたまにある。
こうなると全てを投げ出して、海に走りに行きたくなるww
後、セオリーはあるもののやり方も個人で違う。教わったやり方でやってると、正しいのに、違うと言われる。で、変えてやっていると、また違う人に違うと言われる。
正解は不正解である(詠み人知らず)
みたいな名言が私の中で出来たくらいだ。
これも結局は私個人に説得力が無い故の結果だろう。言いなりになっていてはダメということだ。自分で判断と工夫が出来ていれば大丈夫だっただろう。
けど、理不尽ではある(笑)
何度も心が折れそうになった。が折れずにやってると、
まぁ、頑張ってはいるな
と少しは認めてくれる。
一年目でこれが出来ないとなかなか続かない。それが出来ただけでもよしとしたい。
が、統一はして欲しい。
船頭多くして船山に登る
を人生でこんな短期間に何日も脳の中でよぎったのは初めてだ。よぎってるのは新人の私だけだから、
船頭多くして織田海に飛び込む
である。
自分なりに考えて動くが、それ行動が正解の人もいれば不正解の人もいる。人の観察力もついた。
とにかく学ぶ事が多い期間であった。役者としても役立つことが大いにあった。そして、自分がスタッフをやるなら、二足のわらじを履いてるからこそ出来る事がある事も分かった。
それはまたまとまった時にでも書こう。
そうこうしていたら、休みなく江古田のガールズの公演の稽古に突入した。
恐らく楽しい地獄がまたやってくる。
役者としても劇団員としても少し成長した姿で、臨めればいいと思う。
ポジティブに肯定的に創っていく事が大事であるとこの期間で思い直した。
それもまた、合わせて書こう。
いつになるかはわからないが。
今回はこんなところで。
ではまた。