どうも。いやはや、気が付いたら6月が終わってました。とりあえず江古田のガールズ『極楽』は無事に終演してます。(大分時間立っている故の「しています」)
てんこ盛りのエンターテイメント。やる前まではどの作品もですが、ビクビクもんですが、今回は上演時間もあって、どうなのか不安でした。が、観に来てくださったお客さんの顔と、あのロビーの感じを観て、
「あぁ、ひとまずは良かったなぁ」
と思った次第でございます。何よりも紀伊國屋2日間の3ステージという贅沢さに勿体ないという勿体ない言葉を貰ったのが嬉しい。
自分が所属してる劇団(ニットも含め)公演史上、一番大変でした。誤植もするしよ・・。
ほんと睡眠大事ね。
劇団員あるあるですが、本番にベストコンディション迎えれることなんてまぁないんですが、今回は体力的には千代の富士なら
体力の限界っ!
と髷切ってるくらいでした。でも本番始まってしまえばそんなの吹き飛ぶんですがね。
まぁ、大変さを語っても意味ないんでね。それはさておきですね。
今回は本当に関わった全ての人達の力に助けられた公演でした。スタッフしかり出演者しかり。
そりゃ、色々はある。不平不満は出る。苦労も苦難もある。
でもですね、観てる人が楽しけりゃ、極論いいわけです。そして、皆、その楽しませたい方向に向いてやっていける公演ってのは関わってる人間が多ければ多いほど難しいと思っている。
少なからず、僕は『極楽』は向いていたと思っています。
元々持ってる山崎さんの感覚、作品、江古田のガールズという色に、新しい息吹が入った。
色んな所でやってきた人達、色んなジャンルでやってきた人達。
近い色なら、混じっても問題ないだろうけど、新しい色はでない。遠い色なら、混じった時思いもよらない色になるかもしれない。けど、新しい色になるかもしれない。
作品的には、江古田のガールズは今回のコンセプトでもあった
「楽しいだけじゃダメかしら?」
にあったように真新しさはない。深さもない。
多種多様な色をグラデーションで魅せる事が出来る演劇で、分かり易い単色での勝負だ。
だが、色んな色が入った事で、単色に強さがました。新しい色ではない、けど、思ってもいない濃い色は出来たんだと思う。
関わった全ての人にリスペクトする。有難うございました。
そして、劇団に、劇団員にもリスペクトする。
さぁここから頑張っていこうぜと劇団員全員で何度も話し合った時間は中々この歳で経験しがたい時間だ。それが稽古期間にあったのは体力的には辛くもあったが、これこそが劇団である気がして、良かったと今ふっと思う。
絶賛ワールドカップ中ですが、芝居ってのはサッカーに似ていて、チームプレーだとつくづく最近になって漸く思う。
指揮官(演出家)の下でプレイヤー(役者)がどうやっていくかだ。ゲストで例えメッシのような人がいても、指揮官の意向に背いて単独プレーしては当然ダメだし、皆点を取りに行くようではダメだ。
かといって指揮官の言う通りにし過ぎてもダメだし。そう意味では劇団員というのはチームのベテランで支えるような役目であるかもしれない。
私たちはまだまだ若い劇団だ。及ばない事は多々ある。今回だってあっただろう。
ただ、その中で、この『極楽』では放棄せず闘い続けられたと思う。間違っていたかもしれない、他の方法もあったかもしれない。
しかし、江古田のガールズ代表ではあったと、皆をみて思う。
あのカーテンコールにその結果があると思いたい。
とにもかくにも、本当に感謝です。有難うございました。
さて、上半期は終わっています。上半期は題にあるように稼働し続けた身体
稼身半期でした。
出演はドロタイと江古田のガールズのみでしたが、舞台監督業を2本、ワークショップアシスタント、そして、野田地図のオーディション。
人に会うたび
痩せた?
死にそうな顔してるけど
と言われる毎日でした。役者の技術としては大きな成長はなかっただろうが、精神としてはボチボチ成長しているような気がせんでもない。
というのは、ニット時代、先輩からは
前に出るな。引き算しなきゃ。
とか言われたり、自分自身もイケイケ精神でやっておりましたが、そんな感じが薄れたように思う。
ある主宰の人には
「織田君って、縁の下の支えタイプって舞台で見た時に思ったよ」
とか
尊敬する熱い舞台の先輩の人には
「サポート出来て、1ピースになれるのは知ってるからもっと前に出ろ」
とか
言われてます。京都時代の人が聞いたらぶったまげです。私だってぶったまげてる。
そ、そんなつもりはな、ないんだけどなぁ
って。でも、この上半期の、もっと言えば去年、いや、一昨年のドロタイくらいから感覚は変わってきているのかもしれない。芝居への、演劇への取り組み方、関わり方が、個より、他へ向いてる。それは一人の役者としては良くないかもしれない。
裏を返せば目立ってない、華がないということだから。
だけど、自分的にはこのポジション、この感覚にはもう少し身を置いていこうと思う。
今は自分がどうより、作品が、相手が、出てる人が輝くことの方がやりがいを感じるからだ。
個人への賞賛がない分、報われる事はないかもしれない。
けど、それが私の演劇に於ける立ち位置な気もしている。
またサッカーになるけど、私は小中高とサッカー部でDFだった。身長もなければテクニックもなかった選手だ。
派手さもなければ、地味だった。
出来る事と言えば人より走って声を出して身体をはり、チームを鼓舞することだけだった。
なんとかそれで、スタメンにはギリギリなっていた。
そんな感覚に今近い。
成長なのか諦めなのか。
変革なのか退化なのか。
分からないけど、この感覚に身を少しおいて色々考えていきたい。
前にも出なきゃ役者はダメだから、それはまぁ、頑張りつつ。
報われる時はもしかしたら、辞める時なのかもしれない。
迎える下半期は、野田地図『贋作~桜の森の満開の下』のみだ。
身体が使えるわけでも、ダンスが出来る訳でも、存在感があるわけでも、アイディアが豊富なわけでもない。
だから出来る事は、必死に走りまわって、声出すチャンスがあれば、声を出し、身体をはることだけだ。
出来る事を必死にやっていこうと思う。
挑戦とは出来ない事へのことではなく、出来る事の最大を出すことだと思うから。
素晴らしい作品に対するプレッシャーが半端ない。一秒でも気を抜けばやられる現場だ(どれもそうだけど(笑))
誇りと挑戦を抱いて。
熱い厚い夏がやってくる。
ではまた。