オラムNo.5『晴天の霹靂』
- おだぽひ
- 2018年4月14日
- 読了時間: 8分
どうも、ニューエイジ織田です。あの頃の私にはもう戻れないと思うと少し寂しいけど、新しい私が待ってるなんて本当に息が出来ないくらい嬉しくて、もう恋なんて二度としないよ。
なっ。
ホント舐めんなよな(何をwww)
歳一つとった所で何も変わりはしません。が、何でしょうな、28,29歳とはなんか心持が違うような気もしなくはないような気がするように思えるようになりたいと強く願うことが夢のように思え・・・・。
うっせぇ!
ということで皆さん、色々お祝いの言葉ありがとうございます。そして、あれですね。
野田地図の記者発表。
まさかの誕生日にぶつかり、当然のごとく私の周囲は誕生日より、それに出演することへの驚き、賛辞等々。
私の誕生日、圧倒的敗北www!
ねっ。なんか持ってんだか持ってないのかわからないですが、まぁ本当に参加出来る喜び、重大さを改めて噛みしめました。
2回目の参加と相成りました。一度参加してはいますが、一からオーディションを受けさせてもらい、有難いことにまた選んでいただけた。。
一回目、受かった時は嬉しさと凄い舞台に参加出来る、言わば、ミーハーみたいな気持ちが少なからずあったと思う。遠い世界だと思っていた世界に一歩近づいたんではないか、そういうつけあがりもあったと思う。稽古でも本番でもどこかそれはあっただろう。焦りもあった。それが結果悪い方向に働いた場面もあった。
当然、いい出会いもあったし、素晴らしい作品に参加出来た誇りもあった。が、どことなく、自分の中で参加したと胸をはって言えるような参加ではなかったのではとフッと思う時もあった。
自分は今も仲良くしているアンサンブルの人達と仲間といえるのか、それだけの仕事をしたのか?
野田地図の事を聞かれる度に思う時もあった。
で、今回だ。当然、私がどういう役者、どれくらいのものか、風貌、雰囲気も知られていてのオーディションだ。何も自分を卑下してるわけではないが、今回最後に残った男性の中ではこれといった特徴があったわけでもない。でも選んでもらえた。凄いだろと言いたいんじゃない。選んでもらえた意味、価値はここからな訳だ。戦いはもう始まっている。己との戦いだ。プレッシャーは半端ない。
ただ、浮ついた気持ちはない。素晴らしい公演に参加出来る喜びと選んでもらえた事への敬意、作品への情熱を持って、挑みたい。
1ピース。それは色の分からないピースであっても構わない。自分の出来る事をしっかりやるだけだ。
公演がある時期、オーディションを受ける前に幾つか有難い事にオファーをいただいていた。台詞量、役者織田としての観てもらえる時間を考えると、正直、オファーを頂いた舞台の方があるだろう。でも、そうじゃない。公演規模でも、お金でもない。有名か有名じゃないかでもない。
ただ、どうしてもこのオーディションを受けたいと思ったのだ。だから、本当に嬉しかったし、参加したい気持ちもあったが、断った。受かる保障なんて皆無だったけれど。
これもタイミングだ。どっちが正解は終わっても出ないだろう。ただ、自分のタイミングが、意欲がこっちにあったのだ。それに価値を見出すのは自分次第。戦いは始まっている。
とまぁ、前置きが長くなった。
今週末、実家に帰ってました。免許を更新しに(笑)で、恐らく両親に直接会うのは1年ちょっとぶり、帰省は約2年ぶりだった。頻繁に連絡は取っていたが、久しぶりの実家はなんかちょっと恥ずかしい気持ちになった。
・・・・・。
少し話がずれるけれど、私には反抗期らしい反抗期がなかった。これは親も認めている。家は男3兄弟で私は次男なんだけれど、上も下も大した反抗期(暴言吐いたり、グレたりみたいな)はなかったが、両親と全く会話しない時期はあった。
私は、寧ろリビングにいて話す事が多かった。特に母親と話すことが多かった。マザコンとかでなく、恐らく母と娘のような感じと自分では思う。母は少女漫画が好きで、私もそれを読んで、その漫画について話したりしていた。
今思えば気持ちが悪いwww
誤解を生むかもしれないから断っておくが、私は良い息子だろ?と言いたいわけではない。私にとっては最高の兄弟だ。兄も弟も最高の息子だと思っている。現時点でフラフラしてる私がなんだったら一番親不孝している(笑)ただ、反抗期が私にはなかっただけ。
そして、京都の劇団に所属していたから、実家暮らしも長かったが、不思議と家を出ようと考えたことはなかった気がする。
東京が初めての一人暮らしだ。出る時は少し寂しい気持ちすらあった。
で、兄弟で恐らく一番実家にいて両親と顔を合わせていた私が、ここ3年くらい一番会っていない。忙しくて会いに行けてないというのが建前だが、自分の生活で必死でわざわざ帰るのがしんどく感じていた。
そして、そんなに簡単に帰ってはダメではないかという考えもあった。
何か成し遂げてからではいけないんじゃないか?という考え。
ただでさえ演劇、舞台俳優をやっている息子という時点で不安や苦労をかけてるし、しかも28歳で東京に行くという息子だ。正直、申し訳ない気持ちはいっぱいある。
だから甘えは許されないぞ、背水の陣なんだぞ
と思っていた。
いかん、書いてる最中に、流してる音楽がシガーロスになって泣けてきたwww
話を戻す。
だけど、両親は京都時代からいつも優しく気にかけてくれている。実家に長くいる私に何一つ嫌な顔をしなかった。近所の目もあるだろうに。いつか恩返しせねばと思っていた。
東京一年目に野田地図に出演出来る事が出来た。両親はとにかく喜んでくれた。
大阪公演を観に来てくれて、終わった後、会ったら、泣いて迎えてくれた。
頑張ったな、良かったね。
泣き顔で言ってくれ、父は何故か私に握手を求めて来た(笑)しかし、それに泣きそうになった。漸く演劇で親孝行が少し出来たぞと。
そして、江古田のガールズの公演も見に来てくれた。わざわざ京都から。
分かり易くて、面白かった。観に来たかいがあったよ。頑張ってるな。良い劇団じゃないか。
どの褒め言葉より嬉しかった。
誰に言われるよりも嬉しいし、逆にプレッシャーにもなる。有難い両親だとつくづく思う。
そんな事がありつつ、一昨年の途中から去年まで全く帰れずの今回。免許更新が目的ではあるが、せっかくだから色々と話そうと思ったのだ。
で、母親の手料理を食べて、色々話した。それは、演劇や人生のことではなく、他愛もない事だ。内容が問題ではない。直に話すという事が大事なんだ。それはとても幸せな時間だった。何よりも元気で、変わっていない事が嬉しかった。
あぁ、なんて変わらない日常なんだろう。
帰省してるにも関わらず思った。確かに、ずっと住んでいた実家にも関わらず、居心地は住んでいた時とは違う。そわそわもする。気も使う。
だけど、空気は日常だった。
そして、東京の一人暮らしの家に着いて、改めて思った。私にとって、こっちはやっぱり戦場であり、我が城なのだと。
とある後輩が
織田さん、こっちで活動してたら、あんなに毎日いた親と一年に一回会ってたら、後数十回しか会えないんですよ?
と言われて、ハッとした。何千日共に過ごした親と後数十回しか会えない可能性があるのか。なんだとっ?!
って。そう思うと金玉が縮みあがった(まさのここに来て下ネタ)
だけど、そうなんだ。それが大人になることなのか、自立の為の覚悟なのか分からないが、仕方ない事なのかもしれない。今のところそれを自分で選んでいるのだ。
私の大好きなロックバンドBRAHMANがライブで『霹靂』という曲を歌う時に、歌い出しで
変わらない日常、変わらない風景、変わらない自分、本日晴天の・・・
といって『霹靂』を歌うことがある。
昨日まではかっこいいなぁ、そうだよなぁなんて軽く思っていたが、今日、帰りの新幹線内で母親が作ってくれた弁当を食べながら、丁度その歌が流れ、不思議と泣きそうになった。
私は後、何回母親の手料理を食べれるのだろうか。
そう思ってしまった。
そこで初めて理解した。変わらない日常、風景だと思っていても、晴天が広がっていようが突然霹靂はやってくる。
両親が永劫生きてる事はない、もしかしたら自分が先に逝くかもしれない。そして、それは、何かカウントダウンがあったり、誰かが来年確実だよっと言ってくれる訳でもない。
何の保証も確信もない。
歌詞の中の
永劫 過去もその先の泉に写る水のよう 細波砕けて君も逝く
当たり前に浮かんで 当たり前に消えていく
ってのがある。当たり前の事がある。それは絶対に抗えない。ただ、それは霹靂のようにやってくる。
日常だと思っていたのが、終わる。でも当たり前のことなのだ。
日常の当たり前に、この当たり前の事実はやってくる。
突然かもしれない、ある程度の覚悟の上かもしれない。ただ、それが大人になれば確実に近づく。
縁起でもない事を言ってるんではなく、この事実を常に持たなきゃいけないってことだ。
後何回、手料理を食べれるのだろうか?
後何回、笑い合えるのだろうか?
後何回、感謝出来るのか?
ただの免許更新のための帰省が自分の帯を改めて締めなおす帰省になった。
したいことをしている。不安にもさせている。もしかしたら親の死に目にも会えないのが私の仕事だ。
だからこそ、一つ一つに覚悟と精一杯の楽しみをかけなければいけない。
だからって売れる訳でもないし、明日から自分が劇的に変わるわけないし、また日常にこんな考え埋もれてしまうのだろうけど、感じたことは忘れずに頑張っていこうと思う。
長くなってしまったけれど、そんな事を誕生日からの流れで思った帰省だった。
ではまた。
PS:勘違いしないでもらいたいが、両親はすこぶる元気だ。父親は70近いのに働いてるし、母親も働いてる。両親でスマホ片手にポケモンを街にゲットする旅にも出ている。家は孫愛に溢れた家です。
コメント