オラムNo.3『価値観の価値』
- おだぽひ
- 2018年3月12日
- 読了時間: 6分
どうも。もうまもなく31歳を向かえようとしてる織田です。私が迎えるのか、向こうが待ち構えてるのか分かりませんが、死に一歩また近づいたという訳です(いきなりなんだよ)
31歳にもなれば色々考えや好みも変わるし、かと思えば20年以上変わらないものがある。
ベルタ―スオリジナルはいつだって変わらない味(甘いアメのやつね)
小さい頃はあんことシイタケが大っ嫌いだった。食べる時は泣きながら食べたり、避けて食べたりした。
それが今や、シイタケでご飯が3杯は食べられるんじゃないかなってなってるし、あんこなんて街中にパックマンの丸いアレみたいにあればいいのにと思うほどだ。
美味しい肉も好きだが、それよりもお浸しの優しい味に感動することの方が多い。
今やっている演劇も中高はむしろ馬鹿にしていたが、今やそれを生業にしていこうとしている。
当然変わらないものもある。だけど、東京に出てきた28歳くらいから変わる変化を自分なりに
ほうほう。私も変わりましたなぁ。
と思う事が多くなってきて、それが楽しくもある。
と前置きをして、今回は『価値観の価値』の話。
先日、舞台監督として付いていた仕事が一つ終わった。この芝居がどうとかを書くつもりはない。けど、思うことがあった。それが価値というもの。この芝居にはそれは若くて可愛い人たちがメインで出ていた。その人たちが頑張ってやっていた。
頑張って楽しそうにはしゃいでやっていた。キラキラしていたように感じた。
上手い下手ではなく、そこにはその人たちのファンからすれば、生でその子たちを見れる価値があったわけだ。東京に来てから思うが、京都の時に感じていた演劇というものと、こちらの演劇、あるいは舞台とは価値が違っているような気がする。それは私だけの価値観かもしれないけど。
ひと昔前の私なら悪態をついていたかもしれない。
しかし、今はあまりそれを思わない。若くて可愛いはその子たちにとっては大いに武器で価値なのだ。それを必死に舞台で魅せようとしていた。お客さんはそれを見たかっただろうし、楽しんでいたように思える。
なにも褒めているわけでもない。ただ、価値があったということだ。その価値を彼女たちは商売にしているのだ。お客さんはその価値を見る価値があったのだろう。
これに対してあぁだこうだいうのは違うのだなと思い始めた。
価値観の価値はその人にしか分からない。
知り合いにトレーディングカードに10万つぎ込んだ奴がいる。
私からすれば
豚バラ何キロ買えると思ってんだ!国産が買えるぞ!ジャンプの肉買い占めれるぞ(高円寺にある激アツの肉屋さん)
と思うが、彼からすれば豚バラよりトレーディングカードの方が価値があるのだ。これはどう説得しても意味がないし、そいつに価値があるなら10万の価値はあるのだ。
少し話はずれるけど、東京に来て間もなく、とある現場で一緒になった先輩にその人が主催している劇団の出演を誘われた事がある。その時期に丁度、野田地図のオーディションが受かり、公演がある事を伝えると
あぁ、好き嫌いが分かれる所ね。俺は嫌いだけど
と言われて、後輩の私は
そうなんですかね
としか当時答える事出来なかった。当然その時点でその先輩を嫌いになったのは言わずもがなだが、その人には野田地図に価値を感じなかったのだろう。私とは価値観が違うのだ。
ただ、貴方のその価値観には何の価値もない。
今、改めて思う。そしてぶっ飛ばしてやりたいと思う。
その人が、あるいはそのモノが持つ価値、価値観は様々だけど、それに対するその価値観にも価値があるのだなと感じる。
数万払って、応援してる人、ファンになったその人を見る人の価値観は正直全く分からない。だけど、その人には価値があり楽しんで、やっている子たちもその価値を商売にしている。
なんかそれはそれでいいのかな
と私の価値観が変わってきた。これには自分自身少し価値を感じている。
元より、芝居やら演劇なんて何に価値を見出すか曖昧なものなんだなとも思った。
役者の気質だってそうだ。
主役になりたい、気持ちよく芝居したい
ってのもいれば
演出家、脚本が好きで、その1パーツにキッチリとなれる事が生きがいになる人もいる。
ストレートな芝居が好きな人もいれば、前衛的な芝居が好きな人もいる。
ある後輩には
江古田に入ったのは何でですか?
と言われた事があった。その後輩は泥棒対策ライトや少年王者舘は絶賛してくれた。
私は
どっちも面白いし、どっちにも価値を感じてるからだよ
と答えた。その後輩からしたら、僕のその価値観には疑問を感じたかもしれない。
それはまだまだ、私にその価値観に対する価値を感じさせるだけの圧倒的なものがないからだろう。
頑張らなければならない。
少し話がずれた。
今回、関わった作品は自分の物差し、価値観だけでいうと演劇的価値はないと思っている。ただ、舞台としては価値があった。
じゃあ、演劇の価値って何?って話だけど、それこそが価値観だ。
そして、私は脚本や演出の価値観の価値が研ぎ澄まされているのが好きなのだ。
これは大事にしていきたい価値観。
昨年見た、知り合いの尊敬しているダンサーさんが出演していた横浜の赤レンガ倉庫でやっていたダンスなんて、言葉もなければ説明もない、俗にいうコンテンポラリーなものだ。先日関わっていた現場や江古田のガールズとは両極にいる作品だ。
だけど、私はその作品は去年見た作品の中でもかなり印象に残っている。面白かった。
ファンを見る為に初めて演劇、舞台を観る人にはこの価値は分からないだろう。だけど、そこを楽しんでもらえるようにする、それを楽しもうとする。
そこに価値を見出す価値観を創る
のが演劇を豊かにする事だとも思った。だから私は色んなジャンルにでる。そこに価値があるから。そしてどれも楽しいし、豊かなんだぜと思ってもらいたい。
その価値観の価値を高めていきたいなと31歳を目の前にして思う。
演じる事が好きではなく、注目を浴びたいわけでもない。
嘘。注目は浴びたい(浴びたいんかいwww)
演劇が、舞台が、表現が好きなんだ。
作品が、演出が素晴らしければ、その為に身体を創造を駆使していきたい。そういった作品に出続けなければならない。
何かの為に、誰かの為にやるのが、若くてキラキラした俳優や、上手い俳優さん、ファンが多い俳優さんに抗える自分の演劇人としての唯一の価値なのかしらと少し指針が出来た気がする。
クソみてぇなオナニー芝居や媚びた芝居、牛乳をあっためて出来る膜みたいな芝居、役者に負けるわけにはいかない。
私の知ってる尊敬してる人たちは少なくとも、そこと闘い続けて、もがいてる人たちだ。
その人たちには信じてる価値観に価値がある。
自分もそうでありたいと思う。
三十路最後の舞台がスタッフだったけど、役者では感じる事のない実りがあった。
31歳、もう少し闘おうと思う。
ではまた。
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